井岡一翔選手2度目の挑戦となったSフライ級の2団体統一戦はIBF王者フェルナンド マルティネス選手に敗北。
これまで微妙な判定による敗戦はあれどハッキリと負けた試合のなかった井岡一翔選手が完敗という結果に終わりました。
どこかでボディが効いてマルティネスは失速するはずと信じていましたがその時は来なかった。
そしてその完敗した相手に対し井岡一翔選手は再戦の道を選びました。
果たしてどんな未来が待つのか、、
僕個人の話をしますと、振り返ればデビュー当時の井岡一翔選手のことは正直それほど好きではなかったのです。
むしろアンチ井岡一翔だったはずなのに、いつからこんなに崇拝する対象になったのだろう。
心変わりはいつからか、過去を思い出しながら井岡一翔の歩みを振り返ってみました。
アンチ井岡一翔だった時代
デビュー当時、いつもクールで感情が見えず、パーフェクトなボクシングで勝ち上がる井岡一翔選手が好きではなかった。
デビュー2戦目、ジムの先輩松本さんが井岡一翔に鮮やかに倒された時から井岡一翔が好きではなかった。
アンチ亀田全盛の時代、僕はアンチ亀田じゃなくてアンチ井岡だった。
無敗で世界まで行き、あの強いオーレドン シッサナーチャイ選手を左ボディで倒した時は悔しいとすら思った。
「イーグルだってタイのリングじゃなかったらオーレドンに勝っていたはずだ。」
そんな気持ちが湧き上がった。
下がって誘い込んでの左ボディ。
なんてイヤらしいことをするんだと、心の底から悔しかった。
八重樫選手との統一戦は当然ながら八重樫選手を応援したし、アムナット ルエンロエン選手が井岡一翔をアウトボックスした時は「デカした!」という気持ちになったものです。
- 「唯一無二の存在になりたい。」
- 「伝説になりたい。」
そう語る井岡一翔という存在がお高く止まって下々の人を見下しているように見えて好きではなかった。
ロマゴンから逃げたと言われ
しかし、そんなアンチ井岡な自分でも擁護したくなった出来事が。
ローマン ゴンザレス戦の回避によるロマゴンから逃げたバッシング。
「井岡はロマゴンから逃げた。」
いまだに言われ続けるこのフレーズ。
これに対してはマッチメイクを決めるのは選手ではない。
と声を大にして言いたい。
いくら本人に戦いたい気持ちがあっても、プロモーターや陣営がまだ早いと判断したら無理です。
選手が戦いたいと思っても、
- 商品価値を下げたくない(負ける可能性高い)
- 固い収益源なので現状を維持したい(安牌な相手で防衛ロード)
- 大事な商品を安売りしたくない(ファイトマネーが見合わない)
選手をプロモートする陣営がそう判断したら、選手が出来ることは実力で身内に認めさせるか、リスク覚悟でその世界から飛び出すしかない。
選手からしたら「自分を認めてもらえなかった」という悔しい気持ちを抱える上に、バッシングを受けるのは自分。
この辛い状況の中、文句一つ言わず自分を変えずに淡々と戦う井岡一翔という存在に対する見方が自分の中で少しずつ変わっていきました。
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引退と井岡なき世界戦
2017年、WBAフライ級の王座防衛を続けていた井岡一翔選手は突如引退を表明。
2017年9月13日、井岡一翔選手の防衛戦のために押さえられていたエディオンアリーナは小國VS岩佐の防衛戦がメインに格上げされることに。
関西のリングで関東のジムに所属する選手同士がメインで試合をするという不思議な興行となりました。
この興行はたまたま現地観戦しておりましたが、客席から何度も井岡一翔を求める声が。
「井岡一翔に会いてーよぉ!!」
という悲痛な叫びが聞こえ、関西での絶大な井岡一翔支持の熱を感じました。
ちなみにこの興行には田中恒成選手も出場していましたが、ダウンを奪われる大苦戦。
会場がどよめいていた事を記憶しております。
井岡一翔選手の突如の引退声明には「三階級制覇を達成してやり切った」と聞いてもしっくり来なかったが、すぐにボクシング関係者ルートで東京で練習している情報が入り、移籍を画策しているのだと分かりました。
メディアの前では淡々としながらも自分の想いに対して何とピュアなボクサーなんだと、僕の中での井岡一翔像は大きく変わっていきました。
戦場を海外に移しスタイルも変化
引退声明から1年半後、井岡一翔選手は戦場を海外に移してマック ウィリアムス アローヨ選手と対戦。
アローヨ選手は勝ち星の殆どがKO。
3敗の相手はロマゴン、アムナット、そして我らが岡田隆トレーナー。
現KWORLD3ジムトレーナーの岡田隆選手がやってのけた大番狂わせの相手が他でもないアローヨ選手でした。
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このアローヨ選手相手に海外で復帰した井岡一翔は、戦い方も好戦的なスタイルに変え、これまでよりも被弾もあったもののハードパンチャーのアローヨ選手からダウンも奪う完勝。
この試合での勝利はアンチ井岡だったはずの僕も嬉しい嬉しいと喜んでいました。
日本人ボクサーが世界レベルの選手相手にアメリカのリングに上がって完勝したんですから。
そりゃ喜ばないわけがないですね。
こんなファンがワクワクするキャリアを歩んでくれてありがとう!!
と、アンチ井岡だった自分はどこへやら。
気がつけば井岡一翔選手の海外での挑戦を応援するようになっていました。
次戦でドニー ニエテス選手に僅差の判定で敗れた時はアムナット戦の時とは違う感情になりました。
2年半の日本のリングで4階級制覇
海外でイバラの道を歩んでいた井岡一翔選手。
そんな井岡選手にも日本での所属先が見つかり、2年半の歳月を経て日本のリングに復帰。
ランキング1位の強敵アストン パリクテ選手相手に序盤はやや劣勢も中盤以降に追い上げて10RTKO勝利。
最後判定まで持っていかず攻め切って倒した会心の勝利でした。
井岡ジムに残っていれば4階級制覇にこんな遠回りをすることはなかったかもしれません。
残っていれば4階級目を目指すよりもフライ級の王座を防衛し続ける道を求められていた可能性もありますが。
いずれにしても自分が望む道を切り開くために安住の地を離れてイバラの道を歩み、最終的に手にした4階級目のベルトには、これまでの3階級のベルトとは異なる重みを感じました。
息子が生まれ初のリングで涙
アンチ井岡から気が付けば井岡一翔が好きになった僕が井岡一翔信者になった一戦は、WBOスーパーフライ級王座の初防衛戦。
対戦相手は2度のオリンピック出場経験のあるジェイビエール シントロン選手でした。
この試合、序盤4Rまでは井岡選手は完全な劣勢。
フルマークに近いレベルでポイントを取られていました。
しかしその間もボディで着実にダメージを与えており、中盤以降は形勢逆転。
これぞ井岡一翔という姿を世に知らしめる素晴らしい勝利でした。
この試合は井岡選手にとって子供が生まれてから初めて上がったリングでもあり、
勝利者インタビューでそのことを問われ涙を流す井岡一翔選手に思わず僕ももらい泣きをしました。
感情が見えなくて共感できないと散々ディスっていた井岡一翔選手が我が子を前に感情を露わに涙を流す。
そんなギャップ萌えな姿を見てしまったらもう泣かずにはいられませんでした。
アンチ井岡一翔が完全なる井岡一翔信者になった決定的瞬間でした。
記録にも記憶にも残る唯一無二の存在となった井岡一翔
その後の井岡一翔選手は田中恒成選手の挑戦も完勝で退け、防衛を重ね、ジョシュア フランコ選手との2団体統一戦のチャンスを手にするも引き分けで統一ならず。
WBOのベルトを返上して挑んだ再戦は完勝しますが、防衛戦を経て再び訪れたフェルナンド マルティネス選手との王座統一戦に完敗しました。
井上尚弥、中谷潤人ら無敗で高いKO率を誇り圧倒的な強さを見せるボクサーと比べれば、戦績でもインパクト面でも井岡一翔選手は劣って見えるかもしれません。
しかし、その歩んだ道のりは間違いなく唯一無二。
地元関西を拠点に活動を続けていた頃の井岡一翔人気は凄かったです。
視聴率も20%を超えるようなことだってありました。
TBS的にも井岡一翔選手の試合は視聴率を稼げるキラーコンテンツでした。
そんな恵まれた環境を自ら抜け出し、イバラの道を歩み4階級目のベルトを手にした井岡一翔選手。
日本人初の4階級王者という偉業は歴史に残ります。
安住の地を捨てて歩んだ挑戦はファンの記憶に永遠に残ります。
記録にも記憶にも残る唯一無二の存在となった井岡一翔選手はこの先どんな道を選び、歩んでいくのでしょうか。