チャンピオン、4回戦ボクサー問わず、これまで多くの選手の試合を見てたくさんの勇気をもらってきましたが、ボクシングは危険なスポーツなので怪我もつきもの。
あってはならない事ですが試合後に亡くなられたボクサーもいます。
最近はリング禍も減り、亡くなったボクサーの事が話題に挙がることも少なくなりましたが、2023年12月26日には穴口一輝選手のリング禍が発生してしまいました。
国内では10数年ぶりの悲劇でしたが、
今から10数年前には選手がリング禍で亡くなる事故が続いた事がありました。
辛い記憶にはなってしまいますが、2度とこうした事故が起こらぬ事を願いつつリング禍で亡くなったボクサー達の試合の記憶を振り返りたいと思います。
帝拳ジム所属 八重樫ら後のチャンプに勝った男、辻昌建選手
辻選手はアマチュア経験豊富な所謂アマチュアエリートの帝拳ジム所属ボクサーでした。
階級はミニマム級のサウスポー。
僕もボクサー時代はサウスポーだったので辻選手の試合はテレビ中継されたものは殆ど録画して、いつもお手本にしていました。
技術も高かったのですが何よりハートが強く、激闘が多かった印象です。
僅差の判定勝ちが多かったのですが、その中には後の世界チャンピオン八重樫東選手に勝った試合もありました。
亡くなる前の6試合くらいはほぼ全て会場かテレビ中継で見ていましたが、最後の試合は所属していたジムのテレビで観戦していました。
日本ミニマム級タイトルマッチ(2009年3月21日)
対戦相手は六島ジムの金光佑治選手。
戦前予想は辻選手有利で、試合も辻選手がポイントを取っていましたが、終盤に金光選手が反撃。
徐々にポイントが金光選手に流れるようになります。
普段はスタミナお化けの辻選手の様子がなんかおかしいなぁとは思っていたのですが最終回に金光選手の怒涛のラッシュ。
ジムで一緒に見ていた選手達も驚きの金光選手の大逆転TKOでした。
敗れた辻選手が最後までダウンせず、リング上を意識朦朧と彷徨っていた姿は今でもはっきりと脳裏に焼き付いています。
この時に辻選手のトレーナーを務めていたのが大和心トレーナー。
後に山中選手とルイス・ネリ選手の1戦で山中選手がダウンした際に独断でタオルを投入した事が物議を醸し、ボクシングファンから叩かれていた方です。
辻選手の一件があったので大和トレーナーを非難する声には胸が痛くなりました。
最後までタイトルに手が届かなかった辻選手ですが、
キャリアの中で辻選手が土をつけた対戦相手の中には八重樫東選手をはじめ4人の日本、東洋、世界チャンピオンが名を連ねています。
おそらく一番か二番くらいお手本として何度も映像を見た選手でした。
辻選手の最後の対戦相手となった金光佑治選手もこの試合後に硬膜下血腫と診断され現役引退を余儀なくされました。
両者共に命を賭けた壮絶なタイトルマッチが今後放送されることは二度とないでしょうが僕の脳裏には一生焼き付いています。
明石ジム所属 おもしろき事なき世を面白く、張飛選手
張飛選手は西日本Sライト級新人王のB級ボクサーでした。
最後の試合は2008年5月3日。
場所は後楽園ホールで対戦相手は前年の全日本スーパーライト級新人王の迫田大治選手。
この試合は序盤から劣勢でかなりダメージを受けていました。
リングサイドからは「もう止めた方が良い」という声も挙がっていた記憶がありますが、張飛選手も反撃するので中々ストップの機会がなくラウンドが進んでいきました。
結果は6回2分53秒TKO負けで、その後に意識を失い開頭手術を行ったが意識が戻ることはありませんでした。
張飛選手の座右の銘は「おもしろきこともなき世を面白く」
中国残留孤児3世で、確か母子家庭だったと記憶しています。
生い立ちも大変でプロボクサーとしてもデビューから3連敗。
そこから勝ち星を重ねてきた張飛選手らしい座右の銘でした。
いつか機会があったら話しかけてみたいなぁなんてちょっと気になっていた選手でした。
この試合のレフェリーを務めていたのは確かビニー・マーチン氏。
「もう止めた方が良い」という声もあった中、ストップするタイミングが難しく6Rまで進んでしまった試合。
マーチンレフェリーにとっても難しい試合だったと思います。
野口ジム所属 サラリーマンボクサーとして活躍、八巻裕一選手
続いて紹介するのは野口ジム所属の八巻裕一選手。
八巻選手についてはこの写真の出典元である武士道ボクシングのラストファイトの記事も是非ご覧になってください。
八巻選手はtorajiroと同年代のボクサーで、サラリーマンボクサーという境遇も同じで密かに応援していた選手。
亡くなる前の試合で無敗の日本ランカー安西選手を撃破してランキング入りしたばかりでした。
八巻選手は結構なハードパンチャーで短いラウンドでKOする試合が多かったのですが、安西選手を破った試合も1ラウンドKO勝利でした。
そして最後の試合は2010年2月19日。
対戦相手は当時角海老宝石ジムに所属していた大内淳雅選手。
この試合は序盤から劣勢で、大内選手のパンチをかなり受けていて、
会場観戦した知人の話では会場内から「もう止めた方が」という声も聞こえていたそうです。
僕はボクシングモバイルに「八巻無念!!」というニュースが流れて亡くなったことを知り、非常にショックを受けた事を今でも鮮明に覚えています。
ブログもずっとチェックしていた選手だったので、亡くなられた事が本当に信じられませんでした。
この時期、自分も子供が生まれてボクシングを続けるか迷っていた時期で、八巻選手のリング禍を知って引退を決意しました。
まだまだ全然やりきっていないという思いはありましたが、ボクシングを続けながら子供を幸せにする自信がなくなってしまい急激に戦う気力が無くなったことを覚えています。
八巻裕一戦から13年の時を経て大内淳雅がチャンピオンに!!
八巻選手のリング禍から13年以上が経った2023年8月5日(土)。
八巻選手の最後の対戦相手となった大内淳雅選手が5度目の挑戦を実らせ、37歳にして遂に日本ライトフライ級の新チャンピオンとなりました。
- 直近の試合は3連敗。
- 4月に決まっていたタイトルマッチも冨田大樹選手の棄権で流れる。
という悪い流れに加え、対戦相手の芝力人選手の方が10歳若く、パンチもあってカウンターも上手い。
誰もが芝選手の勝利を予想していた試合でした。
僕も打たれ脆さもある大内選手が序盤に倒される姿を想像していました。
しかし試合が始まると1R目こそは芝選手がキレとパワーのある左フックをヒットさせるも、2R目以降は大内選手もジャブからワンツーを当てて、打ち終わりに左フックを狙う芝選手を後手に回らせる場面を作る。
5Rの途中採点も2者が大内選手を支持。
7Rに芝選手の反撃を食らうもここを耐えて右アッパーで反撃。
そして運命の8R、右アッパーを印象付けておいての右、更に追撃の右で芝選手からダウンを奪う。
立ち上がった芝選手にこのチャンスを逃さず一気に連打をまとめてレフェリーストップを呼び込みました。
コーナーポストに上がって客席に向かい歓喜の雄叫びを上げた大内選手。
そこから上空を見上げ、天に向かって叫び、祈りを捧げていた大内選手。
天国の八巻選手に13年越しのベルト奪取の報告をしているかのような印象的な場面でした。
僕がこの記事を書こうと思ったのも大内VS八巻戦があったから。
家庭を持ち、あの試合があって、戦う心が完全に折れてボクシングを辞めた自分と、家庭を持ってもリングに上がり続けた大内選手。
ここまでの日々にどれだけの覚悟を持って生きてきたのか、ボクシングを続けてきたのか。
それは自分の想像を遥かに超える覚悟だったでしょう。
大内淳雅選手、感動をありがとうございました。
そして心からおめでとうございます。
天国の八巻裕一選手もきっと喜ばれていると思います。
真正ジム所属 アマ68勝アンタッチャブル穴口一輝選手
アマで76戦68勝8敗という輝かしい戦績を残してプロ入りした穴口一輝選手。
プロ入り後も連戦連勝。
特に抜群のディフェンス力が目に付きました。
4戦4勝と勝ち続けた穴口選手は2023年にバンタム級で開催された賞金1,000万円のモンスタートーナメントにエントリー。
関東在住の僕は東日本のボクサーを応援していましたが、内構選手、梅津選手と東日本のボクサーを連続で撃破。
内構戦ではジャブを突きながらサイドに回り、瞬時に放つ左ストレートが光りました。
内構選手も頭をつけてボディから顔面にと重たいパンチを放ち健闘するも有効打の差で穴口選手が勝りました。
梅津戦も抜群のディフェンス力で有効打を許さずフルマークで完勝。
そして迎えた決勝の相手は日本バンタム級王者の堤聖也選手。
この試合は穴口選手の機動力とディフェンス力が序盤は特に冴えていました。
3Rには左ストレートで堤選手がカットし、出血によるストップもあるのではないかとハラハラする展開の中、堤選手が起死回生のダウンを奪う。
やや押し込んだようにも見えたダウンでしたが、その前のパンチが効いていた中の連打によるダウン。
しかし堤選手がダウンを奪ったラウンド以外は穴口選手のペース。
堤選手寄りの自分が贔屓目に見てもポイントは取れていない。
4R以降も穴口選手ペースで試合が進み、堤選手のカットによる出血も目立つ。
しかし穴口選手の勝ちルートが見えてきた7R、再び堤選手が右を決めてダウンを奪う。
このダウンも完全に効いたというよりはややバランスを崩した感じのダウン。
穴口選手は打たれ弱いのだろうかとこの時に感じました。
8Rは再び穴口選手ペースでしたが9Rにも堤選手が一発効かせてからの連打でダウンをゲット。
これで試合が分からなくなった。
ポイント計算上は最終ラウンドを取った方が勝者という状態で迎えたラストラウンド。
このラウンドは穴口選手最後の一踏ん張りで良く動き左を決める。
穴口選手が最後抜け出して勝ち切ったか!!
と思った試合終了直前、ここで堤選手が大逆転のダウンを奪う。
大熱狂の試合は最後のダウンが決め手となって堤選手が逆転勝利。
序盤の劣勢、ヒッティングによるカットと絶望的な状況からの大逆転を成し遂げた堤聖也選手がモンスタートーナメントを制する結果となりました。
そしてこの激闘後、穴口選手は意識を失い緊急開頭手術を行うが帰らぬ人に。
これまでのリング禍と違い明らかなダメージを負った場面もなく、ポイントも最後の最後までリードしていた穴口選手。
後から試合を振り返っても予兆は感じられませんでした。
今にして思えば効いたというよりは押し込まれるようなダウンが多かったのは踏ん張りが効かなくなっていたからなのか。
あんなにディフェンス能力が高かった選手がまさかリング禍で亡くなるとは誰が想像したでしょうか。
この試合に勝利した堤聖也選手はその後、2024年10月13日に井上拓真選手が保持するWBAバンタム級王座へ挑戦が決まりました。
多くのボクシング関係者・ファンがショックを受けた穴口選手のリング禍。
人によってはまだこの事故を直視出来ない方、向き合い方が分からない方もいると思います。
僕自身もまだこの事故を消化しきれていない人間の1人ですが、もう少ししたら今も販売を続けている穴口選手のオリジナルグッズ購入やオンライン激励勝といった形で、小さいながらも残された方々の人生の応援をしたいと考えております。
戦前予想振りの中、堤聖也が井上拓真に勝利し世界チャンピオンに!!
2024年10月13日(日)、穴口選手に勝利した堤聖也選手が井上拓真選手の持つWBAバンタム級のベルトに挑戦しました。
戦前予想は不利。
ただ堤選手の強い気持ちが何かを起こすかもしれない。
そんな予感もあった試合はスタートこそ拓真選手のジャブが冴えて五分五分だったが、徐々に堤選手の旺盛な手数と力強いパンチが拓真選手をとらえていく。
ただ勝つことだけに一点集中して攻め立てる堤選手。
リング上での優位性を示すためか、時折余裕な仕草を見せたり効いていないアピールをしたりと心理戦で優位に立とうとする拓真選手。
そんな対照的な両者の一戦は、駆け引き抜きに攻め立てまくった堤選手が徐々に拓真選手を弱らせ、終盤に有効打をヒットさせてポイントをピックアップしていきました。
特に10Rには一瞬よそ見をした拓真選手に飛び込みロープダウンをゲット。
リング禍を経験したボクサーが大内淳雅選手に続き、ベルトを獲得した瞬間でした。
かつて六島ジムの名城信男選手も日本タイトルを争った田中聖二選手をリング禍で亡くす悲劇がありました。
名城選手はその翌年、WBA王者のマーティン・カスティーリョ選手に挑戦し、戦前予想を覆して世界のベルトを手にしました。
この時の名城選手のように、この試合での堤選手は驚異的なスタミナ、手数、気持ちの強さで拓真選手を凌駕してWBAバンタム級のベルトを手にしました。
- 国内トップの選手達を相手に無双状態で勝ち上がってきた井上拓真選手。
- 国内トップの選手達にあわや負けるかもという試合を繰り返してきた堤聖也選手。
堤選手が拓真選手相手にポイントを取って勝利したことで、改めて穴口選手の強さが浮き彫りになりました。
まとめ
かつて張飛選手、辻選手、八巻選手と同時期に立て続けにリング禍で選手が亡くなった時代がありました。
タイから来日したサーカイジョッキージム選手も同じ時期にリング禍で亡くなっています。
サーカイジョッキージム選手と言えばタイで辰吉丈一郎選手に勝った男でした。
享年は19歳。
あれから早めのストップがより一層徹底されるようになり、しばらくリング禍はなくなりましたが、2013年にランドジムの岡田哲慎選手がデビュー戦後に意識を失い亡くなりました。
岡田選手の死去を受け、プロテスト受験の基準も厳しくなり、それ以降JBC管轄の試合で死亡事故は穴口選手のリング禍まで発生することはありませんでした。
早めのストップに物足りなさを感じる方も当然いるでしょうが、
身近で見ていた選手が亡くなったり、
一緒に練習していた選手の対戦相手が亡くなってしまうのは本当にショックがデカいです。
何より亡くなられた選手の家族・友人のことを思うとボクシングの存在意義すら考えてしまいます。
「あんな時代もあったんだな」と振り返られるくらいにこの先リング禍で選手が亡くなることのないボクシングであって欲しいと願います。
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